博士課程の失敗体験談

はじめに

あまり格好のよいことではないのだけど、内省のために書いた文章がそこそこの分量に達したし、誰かにとって有益になるかもしれないと思ったので自分語りをしてみます。軽い話ではないので、そういうのが好みではない人は読み飛ばしてください。
元々は自分向けの文章なので、表現が雑な箇所もあります。また、敬体は本文中では用いません。ご了承ください。

研究職を目指したがそれに資する能力と業績が得られなかった

成功・失敗の2つに物事を分けるのは難しいことだが、私の大学院生は総じて見ると失敗だったと思う。研究者として生きていこうとするキャリアの見直し・変更を余儀なくされているのだから、そう判断するのが妥当だろう。それはいくつかの理由に分けられる。正確には、いくつかの要素が影響を及ぼしあう悪循環に陥ってしまっていた。まずはそれらを大雑把にまとめてみる。

失敗要素 1. 業績がない

博士学生に限らず、研究者にとっては論文が名刺代わり。それなのに自分が論文にできる水準の成果を生み出せずに、研究者の入り口に立てなかった。

失敗要素 2. 金がない

学振はDC1, DC2, PDに応募は出したが4回連続で全て外した。年次が上がるほどに業績がない(あるいは足りない)ことが大きく影響するため、採用されないことが明らかなのに書類にそれらしい妄想を書き連ねる虚無感はしんどかった。不採用ランクはA→B→C→Cと推移して行った。
RAやTAには採用してもらえたが、給与として頂いた金額はD1, D2は年間40万円(もっと少なかったかも)、D3では年間120万円が精一杯だった。奨学金による借入額が学部から通算して1000万円に達するのに比べたら焼け石に水で、少しずつ精神が蝕まれた。

失敗要素 3. 自分の研究に自信がない

自分が出した結果のようなものがあまり良い結果とは思えず、これを論文にするために時間をかけるくらいならまともな研究をしようと考えていた。

失敗要素 4. 見当違いの努力

後輩指導に燃えすぎ、飲み会に張り切りすぎだった。研究成果が出ないとしても、この辺をやっておけば「がんばった感」が出てしまう。後輩には八つ当たりのような指導をしてしまったこともある。恥ずかしい。飲み会の振る舞いについて後輩にあれこれ言ってしまったこともある。みっともない。

失敗要素 5. 家で飲みすぎ

眠れないし集中もできなさそうなときには、ひたすら発泡酒を飲んでいた。慢性的に体調が悪かった。

失敗要素 6. 指導教員に対する不信感

コミュニケーションは不全であり、不信感があった。おそらく向こうも私に対して、不信感を抱いていたことだろうと思う。こういう状況は自力で乗り越えなくてはという欺瞞もあった。

反省点

  • 誰かの劣化版でもいいから、早めに1つ目の結果を出すべきだった
  • 金策に走るべきだった
  • 周囲の人に学術的に甘えるべきだった
  • 代償行為はアルコールではなく、運動に求めるべきだった

ここまで書いてみて、私は博士課程の学生としてありふれた落とし穴、いわゆる典型的なアンチパターンにはまっていることがわかった。冷静になって当時を振り返ると、非常に愚かだったと言わざるを得ない。
そんな愚かな状態だったという事実にさえ、現在進行形で苦悩しているときには気がつくことができなかったり、適切な対処を行えなかったりするのだということは(少なくとも個人レベルでは)起こりえるのだということを学んだ。

正直に言うと、過去に戻れたとしてもうまくやりなおせるかどうかは自信がない。解決策があまりにも対処療法的だからだ。時間を撒き戻して強くてニューゲームをしたところで、私は愚かにもまた新たな陥穽を見出すのだろう。
とは言え、今まさに泥沼の中で戦っている人、これから挑戦しようとしている人、大学の先生として学生を育てようとしている人にとって、良くないパターンを掲示できたと考えている。私の体験から教訓を引き出すには、その要否を含め各自の判断を仰ぎたい。

マシだった点

しかしながら、完全に無策だったわけではなく、立ち直るための手はいくつか打つことはできていた。

  • ツイッターや趣味の繋がりは保っていた
  • 就活が思いのほかうまくいった
  • 環境を変えればうまくいくはずという自信はあった

これらの要因についても誰かの役に立つ知見があると私は信じているので、これらについては日を改めて書いていきたい。

ここまでまとめてみて感じたこと

自分の人生の何年か分を失敗だったと認めるのは中々辛い作業で、これらの事実が過去になってから文字としてまとめるまでに、ずいぶん時間が経ってしまっていた。
その分いくつかの話題については過大に評価しているかもしれないし、忘れてしまっている部分もあるかもしれないし、過去を美化してしまっている部分もあるかもしれない。当時の私を知る人は遠慮なく指摘してほしい。

失敗体験談と銘打って自分の過去を供養したが、こうして過去のことを客観的に見れるようになってきたのも、自分から人生を投げ出さなかったからだと思う。自ら人生を捨てるか、大きな病気になるかしない限り、幸か不幸か人生は続いていく。それが明るいものになることが個人にとっては重要なことだし、その気力が自分にまだ残っていたことに感謝したい。研究者の卵として独立した研究者を目指しながら、プロの研究者と数年の間だけでも同じ土俵に立てたことを誇りに思う。

これからについて

現在は専門性から幾分か離れたところにいて、キャリアを再構築している。これからも続く人生が幸か不幸かは、自分で決めていきたい。

当時の自分が思い描いていたような人生は歩めなかったが、当時の自分が思い浮かばなかったような人生を楽しんでいる。それくらいには、前向きな気持ちに転じている。